自然にまかせるのと、何もしないのは違う

日々のこと

子どもの頃、家に90センチの水槽がありました。

父が飼っていたものです。90センチというのは、けっこう大きいですよ。子どもの背丈からすると、壁みたいなものです。

中にいたのはグッピーでした。

グッピーというのは、卵ではなく、子どもがそのまま生まれてくるんですね。腹の大きくなった親がいて、そのうち、ぽろぽろと小さいのが出てくる。あれを父と二人で眺めていたのを覚えています。

生まれる瞬間を見ようとして、二人で黙って水槽の前にいるわけです。何をしているんでしょうね、あれは。でも、見ていました。

その頃の私が、世話をしていたわけではありません。あれは父のもので、私はただ、そこにあるものを見ていただけです。

三十年くらい経ってから

熱帯魚を自分で飼いはじめたのは、カメラを買った二年後くらいでした。

パチンコに行かなくなって、時間が余っていた頃です。何をしていいかわからないので、本をよく読むようになりました。

その中に、『ソロモンの指環』がありました。


コンラート・ローレンツという学者の本です。動物行動学の人ですね。有名な本なので、読んだことのある方も多いと思います。

その中に、水槽の話が出てきます。

ポンプもろ過器も使わない。水草と生き物のつりあいだけで、水を保つ。ああいう装置を付けて飼うのは人工的なものだ、というような書き方でした。何と書いてあったか、そこまで正確には覚えていませんが、そういう趣旨だったと思います。

自然の状態で育てるほうが本来だろう、と。

これに、やられました。

そのとおりだと思ったんですよ。装置で生かしているだけなら、それは飼っているとは言えないんじゃないか、と。

それで、装置を付けなかったんです

やったことは単純です。

ろ過器を付けない。水草をたくさん入れる。水を換えない。

これで自然に近い状態になるだろう、と思ったわけです。水草が水をきれいにしてくれるんだろう、と。

水槽は30センチキューブです。あの、正方形の小さいやつですね。父の90センチとは比べものになりません。

そこに入れたのは、チェリーシュリンプです。小さな、真っ赤なエビですね。

蓋もしませんでした。

水は、できていませんでした

結果から言うと、全滅です。

水槽の中で死んでいたのもいますし、外に飛び出していたのもいました。蓋をしていないんだから、そりゃあ出ますよね。

いちばん驚いたのは、匂いです。

水が、ものすごく臭くなったんですよ。腐ったという感じではなくて、魚の生臭い匂いです。あれが部屋の中でしているわけですから、まずいことになっているのは、匂いだけでわかりました。

水槽の水というのは、「できる」ものなんです。

私の水槽は、それができていませんでした。

できてもいないのに、水も換えない。しかも30センチの小さい水槽です。水が少ないほど、汚れは早く回ります。

しかもチェリーシュリンプというのは、丈夫なほうなんですよ。初めての人にすすめられるくらいの種類です。

それを全滅させたわけですから、水のほうがよほどひどかったということですね。(ワタシの無知です)

かわいそうなことをしたと思っています。

無知というのはこういうことだな、と。あれが本当のところです。

バクテリアが、勝手に来るんですよ

さっき「水ができる」と書きましたが、これは何が起きているのか、少し詳しく書いておきます。私が知らなかったのは、まさにここなので。

生き物を入れると、糞をします。餌も残ります。それが分解されて、アンモニアが出る。

このアンモニアが、毒なんですよ。

そこで働くのが、バクテリアです。

まずアンモニアを食べる種類がいて、これがアンモニアを亜硝酸に変えます。ニトロソモナスというのが代表格ですね。ところが、この亜硝酸もまだ毒なんです。

次に、その亜硝酸を食べる種類がいます。ニトロバクターやニトロスピラといったやつです。これが亜硝酸を硝酸に変える。硝酸まで来ると、毒はずいぶん弱くなります。

毒を消しているのではなくて、毒の弱いものに移し替えている、という感じですね。

そして、その硝酸は水草が吸ってくれるぶんもありますが、放っておけば溜まります。だから水換えが要るわけです。私が「水を換えない」でやろうとしていたのは、この出口を塞いでいたことになります。

で、私がいちばん不思議だと思っているのは、ここからです。

このバクテリア、買わなくても入ってくるんですよ。

空気中にもいますし、水道水にも、水草にも、魚そのものにも付いてきます。何もしなくても、勝手に来る。

来たあと、どこに住むかというと、水の中を漂っているわけではないんです。ろ材や砂利の表面にくっついて、そこで増えます。だから住む場所の広さが、そのまま水の処理能力になる。

つまり、ろ過器の本当の仕事は、ゴミを漉すことよりも、バクテリアに部屋を貸すことなんですね。

ついでに書くと、この細菌は酸素を使います。だから水がよく空気に触れる形のほうが、働きがいい。上部フィルターが昔から使われているのは、そういう理由もあるそうです。

ただし、増えるのに時間がかかります。数週間はかかる。

30センチの水槽を買ってきて、その日に生き物を入れて、水も換えない。バクテリアからすれば、まだ引っ越しも済んでいないうちに仕事を振られたようなものです。

そりゃあ、無理ですよね。

あの本は、何もするなとは書いていない

念のため書いておきますが、あの本が悪いという話ではありません。

今回これを書くにあたって、ローレンツのやり方を調べ直しました。

そうしたら、ちゃんと手順があるんですよ。

砂を敷いて、水を入れて、水草を植える。それを日の当たる窓ぎわに置いて、しばらくおく。生き物を入れるのは、そのあとです。入れる数も多くありません。

つまり、装置の代わりを、水草と光と時間にやらせているわけです。

何もしていないのではないんですね。別のもので賄っている。手はかかっていないように見えて、条件はきっちり揃えてある。

私は、装置を外したところで止まっていました。

代わりになるものを、何ひとつ用意していないんですよ。買ってきたその日に生き物を入れて、光のことも考えず、水も換えず、蓋もしない。

自然にまかせるのと、何もしないのは、違うんですよね。

読んだときの私の頭に残っていたのは、「装置は要らない」というところだけでした。

間違っていたのは、私の読み方のほうです。

これね、私は前にも何度もやっているんですよ。何かいいことが書いてある本を読んで、そのとおりにやったつもりになって、やっていない。

今は、ろ過器を付けています

失敗しましたが、やめませんでした。

そのあとは60センチです。標準型の、いちばん普通のやつですね。

それからもう少し大きいのが欲しくなりまして、本当は120センチにしたかったんですよ。ただ、あれは置き場所に困ります。家の中のどこに入れるんだという話になる。

それで、90センチにしました。

今は、ろ過器も付けています。しっかりしたものを作りましたよ。上部フィルターで、モーターはレイシーです。日本製の、ちゃんとしたメーカーですね。水換えもさぼりません。

装置で生かしているだけなら飼っているとは言えない、と思っていた男が、です。

そして、90センチというのは。

父の水槽と、同じ大きさです。

置き場所の都合で決めたはずなんですけどね。


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