ごほうびがいつも出費になる人へ|気晴らしと“ほんとうのごほうび”のちがいに気づく暮らし方

レシートの束に、言い訳が見えた

ある日、財布に溜まったレシートの束を整理していて、
ふと手が止まった。

「ごほうび」って言って買ったコンビニのスイーツ。
「がんばったから」って寄ったホールの出費。
「今日は特別だし」って選んだちょっといい惣菜。
……これ、月末に見直すと、全部ただの出費だった。

中には、何を買ったのかすら思い出せないものもある。
それが1枚、2枚じゃなく、10枚、20枚。
気づけば「ごほうび」の名のもとに、先月だけで1万円以上。

記憶にも残らない。
でも、財布からはちゃんと消えてる。

そのとき、心の中で小さくつぶやいた。

「それって、本当にごほうびだったのか?」


イライラした日は「気晴らし」が“ごほうび”の顔をしてやってくる

たとえば、仕事で疲れて、
駅前のコンビニに吸い込まれるように入る。

アイスコーヒーとスイーツをひとつ。
レジの光に照らされながら、心の中で言い訳する。

「まぁ、今日がんばったし」
「これは自分へのごほうびだよな」って。

けれど、それを食べ終わったあとに、
どこかで小さな罪悪感が顔を出す。

「また甘かったな、自分に」
「ほんとにこれ、要ったかな?」

あの感覚は、なんというか…
“自分をなぐさめたようで、傷口をちょっと広げた”みたいな後味だ。

あれはごほうびじゃなくて、
ただの“気晴らし”だったんじゃないかと思う。


ごほうびは“先払い”じゃなくて“後払い”のほうがいい

「今日はがんばったら、帰りにビールを飲もう」
そう決めて一日をやり遂げた日の晩酌は、なんだか誇らしい。

けれど、
「今日はもうしんどいから、先に飲んじゃおう」って始める酒は、
だいたい後悔がついてくる。

ごほうびってのは、
何かを乗り越えたあとに、
「よし、受け取ろう」って思えるもんだ。

先に渡してしまうと、
不思議なことに、そのあとにくる“頑張る気持ち”も薄れてしまう。

ごほうびは、“結果に対して静かに届く報酬”であって、
“感情の先回り”じゃない方が、ちゃんと満たされる気がする。


お金を使わないごほうびも、ちゃんと効く

最近になって、
“ゼロ円ごほうび”みたいなものを自分の中で見つけるようになった。

・お気に入りのジャズを流しながらコーヒーをいれる
・スマホを置いて、10分だけ目を閉じる
・早めに風呂に入って、湯船でぼーっとする
・公園のベンチで、陽の光に目を細める

これが不思議と、あとで「やっちゃったな…」って気持ちにならない。
むしろ、心の奥が少しずつ整っていくような、静かな満足感がある。

“お金を使わなくても、自分を癒せる方法を知ってる”っていうのは、
ちょっとした自信になる。


ごほうびで自分を整える、って本来はそういうことかもしれない

何かを買うのが悪いわけじゃない。
コンビニスイーツだって、
ホールに行くのだって、
「それで整う」なら、立派なごほうびだ。

でももし、それが財布も気持ちも削っているだけだったとしたら──
ちょっとだけ考え方を変えてみてもいいかもしれない。

  • ごほうびと気晴らしの違いに気づく
  • ごほうびは“先払い”より“後払い”で受け取る
  • お金を使わずに満たされる習慣を一つだけ持ってみる

それだけで、
自分を甘やかす日も、なんとなく整って見える気がする。


今日のひとこと

ごほうびがいつも出費になるなら、
それは“気分の借金”かもしれない

コメント

タイトルとURLをコピーしました