給料日を“特別な日”にしない暮らし方|静かに整えて生きていくために

給料日サイクル

あの日が近づくと、そわそわしていた昔がある

給料日って、なんとなく気持ちが浮く日だった。
「あれが買える」「やっと財布に余裕ができる」
そんなふうに、“ごほうびの日”みたいな顔をして近づいてくる。

でもあるとき、ふと立ち止まって思った。
**「給料日って、そんなに特別な日じゃなくていいんじゃないか?」**って。

働いた対価として、月に一度、入ってくるお金。
それは確かにありがたいけど、
そのたびに「よし、これを買おう」と勢いづくような生活は、
なんだか、暮らしが“給料日に支配されてる”ような感じがしてきたんだ。


お金が入ったからって、何かを買うわけじゃない

欲しいものがあるときって、
たしかに「給料が入ったら買おう」と思う。

でも、その感覚が続くと、
**「給料日がくるたびに何かを買う人」**になっていく。
そうすると、入ったら減る。使ったらまた待つ。
この繰り返しに、少し疲れを感じた。

あるときから、こう考えるようにした。
「給料日だから何かを買うんじゃない。
 本当に必要だと思ったときに、落ち着いて選べばいい」って。


給料日が“節目”であり“基準”であれば、それでいい

別に、給料日を嫌いになったわけじゃない。

働いた証がちゃんと振り込まれている。
それは素直にうれしいことだ。

でもそれは、“祝う日”ではなくて、“整える日”だと思うようになった。
今月の使い方はどうだったか。
次の1ヶ月は、どこを見直すか。
余裕はあるか、無理してないか。

そんなふうに、**自分と生活をそっと見つめる“節目”**にしていきたい。
そこに浪費も衝動もいらない。
静かなチェックポイントみたいな存在でいい。


ある分で、落ち着いて暮らしていく

収入が増えるとか、何か大きな買い物をするとか、
そういう華やかな話じゃなくても、
「ある分で暮らす」というのは、案外心地いい。

多くを持たなくても、足りている。
「足りないと思い続けていた頃」より、
よほど呼吸がしやすい。

給料日が、ドンと派手なイベントじゃなくて、
“当たり前の1日”になってくると、生活にリズムができてくる。
それがちょっと、いい感じなんだよな。


お金を「使うタイミング」を、給料日から外していく

今では、買い物のタイミングも変わってきた。
「給料日が来たから買う」んじゃなくて、
「必要なときに買う。いらないときは買わない」。
ただそれだけ。

最初は不安もあったけど、
不思議なもんで、“使わない決断”ができるようになると、自分のことをちょっと誇らしく感じる。

給料日は、もう“ゴング”じゃない。
財布のひもをほどく日でも、締める日でもなくて、
ただ一つの「暮らしの目盛り」になった。


給料日を“待ち焦がれない”生き方も、ある

子どものころは、「おこづかいの日」が特別だった。
でも大人になってからは、
毎月その日が“ごちそうの日”じゃなくていいと思ってる。

給料日を待たなくても、生活はまわる。
むしろ、給料日がこなくても冷静でいられるくらいに、
日々を整えておく方が、よっぽど気持ちがラクだ。

お金は大事。だけど、
「給料日がすべてを決める」ような暮らしじゃなくて、
日々が自分で舵を切れる暮らしのほうが、いい。


今日のひとこと

給料日は、暮らしを支える柱だけど、
振り回される日じゃなくていい。
特別じゃない日にこそ、落ち着きがある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました