「今じゃなくてもいいか」が、あとで効いてくる
人生ってのは、たまに妙に冷たくて、たまにやけに教訓的だ。
ちょっと気を抜いたときに限って、
「ああ、今じゃなくていいや」と思った支払いが、
あとからズシンと重くのしかかってくる。
たとえば罰金。
交通違反なんて、たいがい不注意でやっちまうもんで、
「あれ、今のって止まらなきゃダメだったっけ?」なんて思ってるうちに、
青い服着た人に手を挙げられて、はいどうぞと切符を渡される。
金額は、まぁ出せない額じゃない。
7,000円とか、8,000円とか。
ただ、それを“今”出すのがちょっとイヤで、
「給料入ってからでいいか」とか「今月はやめとこう」とか、
そんなふうに後回しにする。
ただの紙切れが、頭に居座る
支払い用紙は、机の端っこや財布の中に、そっと居座る。
見ないふりしてても、心のどっかでは気づいてる。
「まだ払ってない」ってことが、
ちょっとした後ろめたさとして、
じんわりと、生活のすき間に染みこんでくる。
洗濯物をたたんでるとき、
レジで財布を開けたとき、
夜寝る前、スマホを閉じる瞬間。
そのたびに、ふと頭の端っこで思い出す。
払ってしまえば済む話なのに、
なぜかそれを後回しにしてる自分に、
ちょっとだけ自己嫌悪すら混ざってくる。
運気が下がったって言いたくなるような日々が始まる
おかしいのはそこからだ。
なんとなく、流れが悪くなってくる。
コンビニで買いたかったおにぎりが売り切れてるとか、
定期を忘れて改札で立ち止まるとか、
そういう小さな“ズレ”が重なる。
まるで生活の噛み合わせが、少しずつズレてるみたいに。
で、そういう日々を数日過ごしたあと、
今度は急に、大きめの出費がやってくる。
給湯器が壊れた。
スマホを落として画面がバキバキになった。
歯が痛くなって歯医者に駆け込んだ。
そういうやつだ。
出し渋ってた7,000円が、
気がつけば2万円、3万円の出費に化けてる。
それで思うわけだ。
「あのとき、サッと払っときゃよかったな」って。
出すと決めたときのほうが、気持ちはずっと軽い
不思議なもんで、
「あーもうめんどくせぇ、払っちまえ」って開き直って払うと、
なんだかスーッとする。
財布は軽くなるはずなのに、
気持ちはむしろ軽くなる。
たかが支払い、されど支払い。
やるべきことを一個終えたっていう、
小さな達成感みたいなものがある。
気づいてないだけで、
ずっと背負ってた“気がかり”ってやつを、
ようやく下ろしたような感覚。
金を出すってのは、ただの出費じゃなくて「気持ちの掃除」なんだ
人は、払いたくない理由をいくらでも作れる。
「今月は税金もあるし」
「他の支払いと重なってるし」
「そもそも、こっちが悪いわけじゃないし」なんてね。
けど、理由を抱えたまま日々を過ごすと、
その分だけ部屋が散らかってくるようなもんで、
気持ちにもホコリが溜まる。
だったらもう、拭いてしまったほうが早い。
黙って払う。
そして忘れる。
それだけで、暮らしはだいぶ整う。
払うものは、払う。あとの流れが変わってくる
それにね、払うものを払うと、
妙なところで助けられたりもする。
なぜか懸賞が当たったり、
帰り道にちょっとした偶然が起きたり。
別にスピリチュアルな話じゃない。
自分の中の流れがスムーズになると、
目の前のものが少し変わって見えるってだけの話だ。
小さな“引っかかり”を取る。
それだけで、
意外と人生は歩きやすくなる。
今日のひとこと
払いたくない日は、誰にでもある。
でも、渋ったままにしておくと、
もっと払う羽目になるかもしれない。
コメント